« オート三輪 -昭和の名車列伝(3) | トップページ | ラジオ放送 -昭和の全史を語れる唯一のメディア(1) »

2007年7月11日 (水)

スバル360 -昭和の名車列伝(4)


 「かぶと虫」の愛称で親しまれる車といえばフォルクスワーゲンのビートルだが、日本には「てんとう虫」と呼ばれた国産車があった。本格的な軽乗用車として登場したスバル360は、当時の通商産業省が構想を抱いていた「国民車」の先駆となった。この車の開発には想像を絶する困難があり、それを克服して大衆の手に届く車として愛されたところに昭和レトロの名車としての価値があるのである。

 スバル360の開発が始まった昭和30年(1955年)当時、ダットサンやトヨタが既に乗用車を販売していたが、その価格は高く、例えばトヨペット・クラウンの価格は約95万円であった。その当時の大卒初任給が1万1千円であったというから、庶民には手の届くような金額ではなかったのである。そうした経済状況から、広く国民に自動車を普及させようという通商産業省の意向もあり、スズキ自動車工業が昭和30年にスズキ・スズライトという日本初の軽乗用車を開発した。この時期に販売した軽乗用車としては画期的な価格・性能ではあったが、4人乗りはうたっていても実質的には大人4人の乗車が難しいなど問題点も多くあり、広く国民への普及には及ばなかった。
 スバルの開発に当たった富士重工業の前身は、大正6年設立の中島飛行機で、戦後GHQに飛行機の生産および研究を禁止されて以降、スクーターや四輪自動車の開発を手がけていた。そのような中で、軽自動車の規格の範囲内で大人四人が快適に乗車でき、十分な走行性能を持つ軽自動車の開発が決断されたのである。
 コードネームK-10と呼ばれたその車の開発は当初から困難を極めていた。軽乗用車のエンジンは大型スクーターのエンジンを改良して排気量360ccとなっていたが、車体の重量が重くなるとその分走行性能に影響が出る。そこで、骨格となるフレームを用いないモノ・コックという一体型の車体を開発することにより軽量化に成功した。また、走行時の車体の揺れを防ぐサスペンションにはトーションバー・スプリングという通称「ねじり棒ばね」とよばれる部品を用いたが、数々の破損に見舞われるなど、問題解決には長い時間を要した。ホームページ「スバル博物館」には、その開発に至るまでのさまざまなエピソードが詳細に記述されている。
 最大の山場は、乗車定員4人を乗せての耐久試験だった。スバル360は昭和33年(1958年)の発売までに数々の耐久試験を繰り返している。 wikipediaによれば、その中でも群馬県伊勢崎から高崎までの走行テストおよび伊勢崎から赤城山山頂付近までの登坂テストは過酷そのものであった。 NHK『プロジェクトX ~挑戦者たち~ 日本初のマイカー・てんとう虫町を行く』では、登坂テストの際に途中で何度もオーバーヒートを繰り返し、その度に改良を加えて再度テストを行うという繰り返しであったことをその当時の開発者が語る部分がある。登坂テストでは、普通乗用車であってもあまりの過酷さにリタイアが続出する状況であったが、昭和32年(1957年)8月、スバル360は遂にその赤城山登坂テストをノンストップで制することになる。
 自動車の販売の事実上のゴーサインとなる運輸省の認定試験は、昭和33年(1958年)2月に箱根で行われた。試験車両には同省の職員が同乗することになっていたが、一人が乗車を拒んだために後部座席に55kgの錘(おもり)を代わりに乗せて走行試験が行われた。この際のテストデータでは16.7馬力を記録し、その力強さが実証されることとなった。
 昭和33年の発売当初の標準モデルは最高時速83km/h、最大馬力16psであったが、昭和44年(1969年)の最終形となったヤングSSは最高時速 120km/h最大馬力36psと大幅な性能アップを果たしている。これは発売後もたゆまぬ研究開発によって装備から内装まで充実してきた結果であろう。販売価格も42万5千円と普通乗用車の半値以下であったため、一般庶民に自動車が購入可能な価格帯となっていた。
 特徴はそれだけにとどまらない。スバル360を見た人の多くが驚くのは、ドアが進行方向に向いて開くことであろう。これは乗降を楽に行うための工夫であるが、発売当時の車にはそのような例が多かったという。ところが、ドアがしっかり閉まっていないと走行中にドアが開いてしまい、事故につながる危険性もあったため、その後は後ろに開くドアが主流となったという。
 また、「てんとう虫」という愛称が示すように、丸みを帯びてかわいらしい車体と、それには不釣合いなほどに広々とした車内居住性のよさが人々の購入意欲を高めていたという。JTB発行『昭和の名車』では、相撲取りが助手席に乗り込む写真が掲載されているが、その居住性は当時の車の中では群を抜くものであったことを実証している。
 国民車として華々しく世に出たスバル360は約40万台が生産された。やがてホンダがN360を世に送り出すと、スバル360の人気にも陰りが見え始め、昭和44年には生産を終了した。しかし、人々が待望した安くて高性能の車は長く自動車の歴史にその名を刻みつけることになり、昭和レトロな車として今もファンの心をつかんで離さないのである。

参考図書
『昭和の名車 あの時、あのクルマ・・・もう一度会いたい60台』JTB発行

参考リンク
wikipedia http://ja.wikipedia.org てんとう虫のページ http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/4091/ten/tindex.htm スバル博物館 http://www.subaru.jp/about/spirits/museum/index.html


広告


トップページへもどる
記事先頭へもどる

|

« オート三輪 -昭和の名車列伝(3) | トップページ | ラジオ放送 -昭和の全史を語れる唯一のメディア(1) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/215719/15723602

この記事へのトラックバック一覧です: スバル360 -昭和の名車列伝(4):

« オート三輪 -昭和の名車列伝(3) | トップページ | ラジオ放送 -昭和の全史を語れる唯一のメディア(1) »